調整するのをやめて正直になろう

尾見

■ みんなは労働うまくいってる? 俺はうまくいってないよ

今無職で貯金を削りながら生きているんだけど、金なくなってきてそろそろバイトしないとまずい。

なので、これ書いているちょうど数時間前、近所にある大学生協施設での清掃のバイトに勇気を出して応募した。

面接の日時調整のため担当者の連絡先に電話をかけた。話しているうちに、すぐにタメ口に変わったことに若干の不安をおぼえた。人を下に見てる感じが口調からわかる。「そっか、電話してきちゃったかぁ」ってどういうことだよ。初対面なのによく敬語使わないってジャッジできるな。そもそも電話しちゃダメだったのか? そんなこと書いてないしな……。

もうそこで働くのがダルくなった。

やっぱ一日四時間も働きたくない、二時間か三時間くらいがいい。でも家賃払えないからそれくらいは頑張らないといけない。貯金が減るのはつらい。でもイヤなものはイヤだ。そもそもが仲良くない人と話したくない。超仲いい人としか話したくないんだから。

俺は人と長時間一緒に居るのが苦手だ。ひとりひとり接するのはまだマシだが、人が集団になると利害関係が絡んで邪悪になるから大嫌いだ。二人だと超仲いい人も、その人が集団に入るとなんだか遠くに行ってしまったような感じがする。

清掃のバイト、一人で黙々と作業できる環境じゃなかったら辞めよう。

俺は最近になってこういう情けない弱点を平気で話せるようになったが、つい最近までは無理だった。「〇〇ができない」ことを表明するのが恥ずかしかった。何でもできる人間を装うことに必死だった。

なぜなら、人に対してすごく格好をつけていたからだ。カッコつけてたからクッソ苦しかった。

そんな俺と同じ感じの人がいたらどうか正直になってほしいと思う。

人に対してカッコつけるということはいつか鬱などの心の病気につながってしまうから。

見栄を張るのをやめたら途端に生きるのが楽になった。自分の情けなさをさらけ出して、それが笑いになって、人がリラックスしてくれたらすごくうれしい。

そんな思いを込めてこの文を書きます。

小さいころから早く鬱陶しい母と姉から離れて暮らしたかった。姉は傲慢で母はヒステリックだった。

父と俺はその二人にいつも自由を制限されていた。特に父は若いころ自由人だったらしいが、姉や私が生まれてからは母の言うことを聞いているだけの男になった。母にいつも怒鳴られて、何も言えないでいる気の弱い人だった。仕事の憂さを晴らすためのパチンコも厳格に制限されていた。よく母に臭いと言われながら煙草を外で吸っていた。私が喘息だから母もナイーブになっていたのかもしれないが、私は自分のせいで父がかわいそうだとずっと感じていた。私もゲーム、カップ麺、コーラ、ポテトチップス、片親の友達と遊ぶこと、などを禁じられて、毎日やりたくないのだがけして辞めさせてくれない稽古事に身をやつしていた。しんどかった。

父も働くのが辛そうだった。酒とたばこで必死にドーピングして日々を何とかしていた。それを見て私は怖くなった。

うちは貧乏なのに、姉と私は国立大学に行けず私立だけ受かった。授業料をねん出するのに両親はかなり頑張ったに違いない。父は私が就職した後に二度の自殺未遂をした。

学生時代は割と勉強ができた方で、仕事も多分まあまあできるんだろうな、と思っていた。

ヒステリックな母親に毎日怒鳴られて委縮しながら生きていたのだが、あれを生活と言われると無理がある。精神的な健康を賭けた闘争、サバイバルというべきだろう。我慢の日々だった。

金が無いので母親は毎日怒っていたが、理不尽な怒りをまきちらし私たちを支配することで解消していたと思う。俺はよく母を殴らなかったなと自分を褒めたい。

びくびくしながら自分の精神をできる限り守りかろうじて生きていたわけだけども、22歳で就職し、一人暮らしを始めてやっと自由になった。

地元平塚から東京の両国駅付近のマンションへ引っ越しを終えた私は、真顔でまっさらな部屋に入り、1日目の夜を過ごした。余裕ぶっていたが、実は精神的に嗚咽号泣しており、自由の喜びに打ち震えながら、カップ麺をむさぼりつつFF13を好きなだけやりまくった。キレる母親はもういない。人生で一番幸せな時だった。

ただ母と連絡は時々取るわけだし、癖になったまともな人間のフリは10年間抜けなかった。

6年経ち、俺は割と一生懸命働いていた。せっかく手にした自由のためだ。実家に戻るなんて御免なので頑張って働く。若いので体力はありあまっていた。体力で自分の内向的なところや怠惰な部分をカバーしていた。ただそのせいで自分の本心から目を背け続けた。環境と自分の本音の差分をうまく調整してしまっていた。

自分は実は働きたくない。労働の忙しなく刺激が来る感じが疲れ果ててしまう。全く気付いていなかった。というか、辞めるという選択肢はなかった。

麻布テーラーで作った気取ったスーツを着て、丸ビルと新丸ビルを正面に眺めながら、Pixiesの「Where is my mind?」を聴いていた。映画「ファイトクラブ」のラストシーンよろしく、このでかいビル群が爆破されて崩れるシーンを想像していた。

毎日何百件もメールチェックする生活が嫌でメンタルが終わってしまっていた。それでいて辞める選択肢を自分で消してしまっているので、詰んでいた。

コミュニケーションなどは問題なかったが、問題はマルチタスクだ。何個かの仕事を同時並行に進めて、自分が持っているボールを相手に投げ続ける。これがなかなかしんどい。タスクを切り替える時に、精神的なダメージをくらうのだ。切り替えが遅いというわけではなく、もっと一つの案件についてじっくり長いこと考えたいのに時間が無いので無理やりベリッと意識を剥がさなきゃいけない感じ。それが細かいダメージになり精神を遅効性の毒のように蝕む。さすがにこの時は気づいていたが、認めたくなかった。ちゃんとしたい自分はサラリーマンでいたかった。

毎日零時まで仕事をしていたので帰りはタクシーを使っていたら、朝もなんだか電車に乗れなくなって、両国から丸の内まで出勤もタクシーになった。色々とぎりぎりだった。性格もとにかく悪かったと思う。ストレス解消に金は惜しまなかった。

その時から、働いている人がストレスをどうしているのかに興味があった。なので酒の場では必ずと言っていいほど聞いていた。

「なんで働いているんですか?」「ストレスヤバくないですか?」

周囲の人はみんなお金持ちで優秀そうな雰囲気を出していた。ただ俺と同じように病んでしまう人も多かった。

上記の質問に対する回答だが、男性はストレス対策として、パチスロ、酒、家族の組み合わせで依存している人が多かった。2010年代の話なので今ならソシャゲとかの方が多いかもしれない。上司はよくよく思い出せば元セックス依存症だったと言っていた。とにかく生活や家族のために働くのは当たり前でしょ、その対症療法として酒とかスロットが必要なのよね、みたいな回答が多かった。スロットは頭の中がからっぽになるからすごくいいらしい。

女性は男性より本音を言ってくれないのでサンプルが少ないが、男性のパチスロが買い物に変わる感じだったと思う。事務の女の子たちが仕事が忙しくなるとそのストレスを埋め合わせるためにどんどん見た目が派手になっていくのをみたことがある人は多いと思う。ある事務の女の子は忙しすぎて追い詰められおかしくなり、最終的に裸足でオフィスをウロウロしていた。そうなると近いうちに辞める。なんとなく納得できたから異常だ。私の後輩の女の子で、なぜこんなに頑張れるのだ? と不思議に思うくらい働く人が居た。私が会社を辞めた後に会って話を聞いたら、彼女は熱心なプロテスタントの信徒だった。すごく納得した覚えがある。

働きたくないから働かない、と言った人は居なかった。みんな本音はどうだったんだろうか。

俺は彼らと違ってストレスのもっていく先が無かったのだろうと思う。酒も宗教も好きではない。だから今はストレスを一切ためないようにしている。

働いているときはつきあいで酒を飲んでいたが、どう考えても牛乳の方が好きだ。テレビや漫画でみた、疲れたサラリーマンの真似をやってみたかったのかもしれない。一度若くて外見がいいうちにバンドやってみたくなるのとベクトルが一緒だ。

それらは結局カッコつけたいだけの行為だ。

家族のために頑張る、はみんなどうなんだろうか。子供がいたことが無いからわからないが、労働のしんどさをマヒさせるほどに強い感情がわくのだろうか。わからない。

結局俺は怒鳴ってくるお局様に嫌気がさして逃げ出した。ぶっ壊れる寸前だった。

会社を辞め、貯金もそこそこあったのでバックパッカーとして旅に出た。海外に行ったことがなかったのと沢木耕太郎に影響されたからだ。バックパッカーのパーカー短パンにリュックのスタイルはスーツにカバンよりしっくり来た。限界まで節約する貧乏旅行なので、旅の途中では髪も自分で切った。2016年当時は円も100円くらいで、今と比べてホテルも飛行機も安かった。飯が基本屋台の安い飯なのでよく腹を下した。

海外では色々面白いこともあったが、正直に言うと外国の文化、建築、食べ物、言語、人、そのほとんどがよくわからなかった。2%くらいしか理解できてないのではないか。

ちょっと旅行してその国に対してわかったようなことを言っている奴はカッコつけてるだけだと思う。学生の時も本を読まずにレポートを書くタイプの人だ。

その国を理解するには、宗教や歴史を深く理解する必要がある。日本でさえ大して理解していないのである。行っただけじゃなんもわからん、ということがわかった。

ただ外国でもなんとか移動して飯食って寝て、ということが自分ひとりでできる、というのはかなりの自信になった。

それから働いたりバイトしたり辞めたりを繰り返し、2025年1月にまた正社員の仕事を辞めて、今に至る。辞めた理由はいろいろだが上司はクソだし若い同僚に恋をしてしまうし親父は亡くなるしで、またメンタルがおかしくなってしまった。

働けはするのだが無理がある。人の中に居るのに無理がある。情けないがそろそろ正直に認めないといけない。

なので現在、俺は才能も根性も仕事も無いが作家だ。

客観的に見ると無職の独身中年男性だが、自分ひとりだけ作家だと信じている。無駄に歳を食った以外は文字通りあらゆる意味でガチ凡夫なのだが、小説を書こうとジタバタするのを10年間ほどやっている。結果はまったく出ていない。結果はどうあれ、この先も続けると思う。

小説や映画などの物語全般が好きというのもあるが、作家なら人と接する機会は少ないだろうと考えたからだ。今も意見は変わっていない。いまはストレスもない。金もない。

白髪も生えるままにして最近は太り始めてもおり、外見が劣化していくのを自然に任せてほっといている。金はコロナ禍で貯めたのでまだ余裕があるがいずれ無くなる。で、バイトの電話にビクビクしているのが現状だ。この先どうなるのかまったくわからない。あまり見通しは明るくなさそうだ。

この文を読んでいる皆さんはどうだろうか?

労働、うまくいってます?

■ 好きじゃない女をデートに誘うのは自傷だ

サラリーマンのコスプレができたのは一瞬楽しかったが、結局合わなかった。

資本主義社会下の企業では、絶えず成長や成果を求めて自分を「より良い者」にしていこうというプロジェクトに盲目的に参加させられていることを理解した。これはかなり大事な気づきだった。

自分で書いててあの時期の選択肢の無い感じ、腹が立つ。「目標」も「成長」も人間には必要ねぇよ!

それが当たりまえのようになっているから結果として燃え尽き症候群やうつ病を患ってしまう人たちが後を絶たない。あくまで日々頑張るというのは選択肢のひとつだ。

断言するが、なんかしらに依存しないとイヤな仕事というのは続かないようだ。イヤなことをし続けるにはそれだけの代償が必要。パチンコ、酒、風俗、ホスト、タバコ(その他薬物)、家族恋人、過食、買い物美容、整形、ソシャゲなどなど、仕事を続けたければこの中で自分が依存したいものを2、3選ばないといけない、それだけ過酷なのだ。俺は頑張るのも何かに依存するのも嫌だったからなし崩し的に社会から半分以上ドロップアウトして、ようやく嫌がってる自分と向き合えた。

若い時から資本主義のシステムにどっぷりつからないように無意識で警戒していたといえる。ちゃんと女性に向き合い彼女を作る精神的な余裕が無いので、風俗だけ3か月に1回行っていた。いくら金に余裕があっても依存しないように気をつけていた。次々と結婚している周りと比べると情けないが、すべて現実。いまはとてもじゃないけどいけません。

なんでそんな我慢しながらみんな仕事を続けなくてはいけないかというと、みんな無職はカッコ悪いと思っているからだ。俺も無職になったら女性にもモテないし、母には怒られるし嫌だなあ、と思っていた。38歳になってみると、よく考えたらモテなくても何とかなる(FANZA)し、更年期ヒステリーだった母は歳食ってなんか丸くなったのでもう衝突して殴るみたいなことにはならなそう。じゃあもう働かないし何にも依存しなくていいよね、ということだ。

それなりに働いて気づいたことがある。まずこの世は他人が作った社会である。

あなたも俺もこの社会のルール決めに全然関わっていない。

会社の売り上げ目標は上の人が決めているし、ハンドやPKの基準は審判ごとに微妙に変わる。

水道や電気のインフラも、かつて起きた戦争も、政治家も先生も親も友人も皆他人で、他人主導で作った世界だ。それぞれの価値観を持っており、その価値観にしたがって動いている。合わないのはよく考えたら当たり前だ。

モテなければならない、いい大学に行かねばならない、運動も勉強もできなければならない、弾けるピアノの曲をどんどん増やせ、友達もたくさん作れなど。私はそこら辺の基準をクリアすべくやりたくないことをずっと続けていた。全部ホントはやりたくないのにだよ? 生まれてきて子供で何もわかってない状態なのにルールガチガチな感じ、今思い返すとほんとうに危ない。

この食べ物とインフラに恵まれた奇跡のような国に産まれたのだから、その恩恵を受ける分我々も何かしら努力する必要がある。その理屈はすごいわかる。

ただ俺は誰にも尊敬されなくていいし、なんなら賤民として差別されたっていい。

この日本社会、これ以上の経済成長は無理がありそう。完全に仕上がってしまっている。いくら供給を増やしても、需要は増えない。

ウーバーイーツなんて、もう新しいアイディアが無いから無理やりやってるとしか思えない。飯を届けさせるなんて所業は貴族中の貴族がやることではないだろうか。健康で普通に歩ける人間があれを使うことほど下品なものは無い。盛者は必ず衰える、足があるなら歩けよキショイな。どんだけ時間が無いのか知らんが、絶対に自分で買いに行った方が飯はおいしい。

無理やり需要を作り出し、何かに酔っぱらい続ける生活を「生活」と呼んでいいのか? 少なくとも活きてなくない?

死んだ目ェして昼メールチェック千件やって、夜酒飲んで休日スロットする生活は生き活きしてる感じはない。家族を愛しているから大丈夫! ってみんな言ってたけど、少なくとも自分としては大丈夫だと思わない。

俺たちは、このクッソ速いこの世界のテンポに適応しなくていいと思う。遠慮なくのんびりしていい。明らかに日本企業はテンポが速すぎる。俺がいたIT業界は特にだ。奴らはさらに世の中を加速させようとしているので、IT技術には基本的に注意だ。

マックでバイトするならモスバーガーの方がいい。モスはテンポが比較的ゆったりしている。

これからニート、引きこもり、無職は増え続ける。なぜなら社会がクッソ速いからで、適応できない人であふれる。

資本主義の上がり続けるギアについていけない人たちはこれからさらに増えるんじゃないかなと思います。そういうドラゴンボールのクリリンとかピンポンのアクマみたいな、インフレについていけない人たちはどうすればいいの?

若いころにまったく好きじゃない子をデートに誘ったことがあった。

自分でもなんで誘ったのか理由があいまいだった。友達に自慢したいとか、若いから何事も経験だ、とか理由をつけていた。みんなやってるから真似してみたかった。

案の定、デートはそんなに楽しくなかったり、会話も全然好きじゃないことを確認する作業が続く。友人の一人はあまり好きじゃなくても性欲で何とかしているらしいが、俺はダメだった。セックスできるかどうか、みたいなゲームっぽい感覚を持てばいいのだろうが、それでできたとしてもどこか悪いことをしているように感じてしまう。ちゃんと恋に落ちた子とのデートは一生の思い出に残るほど心が動くが、一ヶ月ですぐに忘れてしまうような人に気を持たせることは相手のためにもやめるべきだ。ナンパ師のそれと同じで、それを続けていると心の無いAIアートみたいな人間に仕上がる。女性にも失礼だ。

仕事にも同じことが言える。好きじゃないのに我慢するのは結果双方に良くない。イヤな仕事だ、と思ったらすぐに退職を検討しよう。感性はあきらかに間違っていることを告げているのに、損得勘定だけで続けることは、長期的に脳にも人生にもよくない。

嫌なことを無理して続けると良くないのはわかっているはず。なぜこういうことをしてしまうのか?

これらの問題を超越した、我々の「生活」とはどうすれば見つかるのか?

■ とにかくカッコつけるな

俺の二十代はめっちゃカッコつけていた。カッコつけていない自然体な感じを装いつつ、最大限魅力的に見えるように印象を細部まで調整しまくっていた。それは楽しくもあったのだが、それは長期的にみて、俺の人生を苦しくする悪手だったと思う。

自分が本当に望んでいないことはやらない、と決めるとよい。それを基準に生活をデザインする。カッコつける癖が抜けるまで意識する。

例えば自分にユーモアのセンスが無いと悩んでる人がいるとする。

そいつが本を読んだりしてユーモアのセンスがあるフリをしてあなたに話してくるのと、「自分にはユーモアのセンスが無いんだ」と正直に話してくれるのと。結局どっちが人間として面白いのか、ということだ。

「ニートマガジン」の内容も皆凝った文章が多いが、なんだかその人自身の血肉や汗を感じないものが多い。レトリックや知識に寄っている内容が多く、その人の生の赤裸々な感情が読みたいのに、偉い人の意見を引用しまくってお前自身が何も見えない、という記事が多いと思う。宗教も知識も会社員も「寄らば大樹」という意味では一緒で、神様やら先行研究者や会社に自分を埋もれさせて、肝心の、超興味深いはずの、著者自身が見えなくなっている。不安なのはわかるけどそれほんとにあんたの言葉なのか? 一山いくらの商品のマネはよそうよ。

あなたは人とマクドナルドに行ったときに、常識的なセットメニューを頼まず、人前でナゲットだけを十五個ひたすら食うことができますか? 私は今それができます。ナゲットと水だけでいい、と心の底から思ったらそうするべきなのです。それがどんだけ異常な印象を人に与えようともやるべきなんです。絶対にやるべきです。自由になりたかったらやるのだ。

自分が女性だからって社会的なコードを参照して自分らしく振舞えないなんてばからしい。上司の前だってホットドッグを水につけて喰いたかったらそうしなさい。

周りの目を気にしたってあなたの自由が減るばかりでしょうがない。

ジョブズも寿司屋でアナゴばっか食ってたらしい。寿司は白身魚から頼むのがオツだぜ、とか言ってるやつを尻目に、俺たちも大好きなサーモンとイクラばっかり食おうよ、しかもサビ抜きでよ。

■ 自分のこころの一番奥深くに潜ろう

自分の本心なんてわかってます! これが私の自然体なのよ、という方がいるのもわかる。

ただ自分に嘘をついていることに気づいていない可能性が極めて高い。自分に対してもカッコつけている。ぶっちゃけ二十代では完全に正直になるのは無理だと思う。二十代は他人の存在感がまだ大きすぎる。

「なんとなくこんな人間でありたい」を選ぶのは危険だ。美人とか頭がいいとか仕事ができるっていうのは才能の部分が大きい。憧れのその人は、あなたではないから魅力的なのだ。

虚像を追いかけて無理して働いてストレスためて酒とか浪費をやるようになる。カッコつける→働く→ストレス→依存というわけですよ。カッコつけようとするから生活が苦しいのです。わけがわからないのが、なにかに依存していることこそ自分のアイデンティティだと思い込み、病んでるアピとか酒カスアピでXで承認欲求を満たそうとする。

そうじゃない! 仕事がクソだからお前は酒を飲まなきゃいけないんだ!

仕事を辞めれば社会人のフリをやめられて、飲まなくてもよくなって、正直で魅力的なお前でいられるんだ。

でもそんな仕事でもないと実存がフワフワして不安だよ、という方。

自分の強固な軸を見つける必要があるのだ。人生のテーマと呼んでもいい。

人生のテーマは仕事に生きていたら見つからない。意識が外に向いていたら見つからない。人生の棚卸というか徹底的かつ正直な内省が必要となるのだ。「自分探しの旅」は嘲笑されがちだが、何回だってやるべきだ。資本主義から降りるときに必要な儀式。旅をするのは外国ではなく、自分の過去の感情や気づいていない嗜好が眠っている心の奥だ。

私が初めて真面目に自分と向き合ったのは二十八歳だった。新卒で入った会社を辞めた時である。

とにかく好きなものと嫌いなものを表計算ソフトに記入して整理した。

大好きなものランキングと大嫌いなものランキングをトップ二百ずつくらい書き出した。そしてそれを組み合わせたりヒントにして、大事にしたい優先事項をまとめた。そういう作業をしていくと、自分のことが少しずつ分かってくる。

この作業は楽しかった。豚肉より鶏肉が好き、とか細かいディテールまで書き出す。何に感動するのか、何を軽蔑するのか。

最初は自分に対してもカッコつけていた。「英語を話せるようになりたい」とか書いていた。それは嘘だ。英語話せたらちょっと他人にマウントとれるな、程度の虚栄心からくる欲求だ。それは本心からくるものではない。なにも知らないのに、ファッションに影響されてモッズになりたい、とか書いていた。アホである。

他人の評価軸における世間一般の「成長」は諦めて自分の正直な関心のあることのみにフォーカスする。ビジネスは本当にやりたい人だけやれば良い。大事なのはビジネスをやりたいのか、ビジネスマンと見られたいのかだ。

「海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもそこに 私の中に見つけられたから」と歌っていたのは「千と千尋の神隠し」の「いつも何度でも」だ。俺はこの歌詞が好きで時々思い出す。これは普段からどれだけ自分の本心を無視していたか気づいたよ、という詩だ。そのあとのララランランの部分は気づいた自分に対する歓喜を表現していると思う。俺の勝手な解釈だ。

ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」という素晴らしい歌詞の曲がある。詳細はググってほしい。

その歌詞を俺なりに解釈すると、「あなたの心のずーっと奥の方をなんとかして覗いてみると、見栄とか周囲の影響を排除した純粋な欲求があるはず。それが情熱をささげるべきあなただけの薔薇です。その薔薇に水をたっぷりあげましょう。」という感じだ。解釈は自由だと甲本ヒロトはいつも言っているので、俺はこう受け取った。さっきから歌詞の解釈を素人が勝手にするのはこの上なく野暮だけども、普遍的な名曲には俺のような俗人にも刺さる芯を喰ったフレーズがあるものだ。

内省するのをすすめといてアレだが、いいことばかりではない。

恐ろしいのは、人に話せるようなかっこいい欲求が見つかることの方が少ないこと。人に見せられないようなきったない薔薇だったりする。

「ワールドカップで優勝したい」と言っている人が、実はその先にある「名声を得て金髪巨乳の女を集めてパーティをしたい」が本音だったりする(FCバルセロナのラミン・ヤマル氏参照)。

こんなカッコ悪いテーマは嫌だ! 人に話せない目標は嫌だ! と思うかもしれない。そんな情けない自分を笑いながら認めよう。まあ別に人に言わなくてもいい。自分にさえウソをつかなければいい。

ただ文章や絵画などの芸術表現は、少しでも見栄や嘘が混じると一気に味が落ちる。結局自分のどうしようもない欲望や嗜好をそのまんま出すしか無いのだ。

ルノワールの絵はキャリア後期になるにつれ、描かれている裸婦はどんどん太っていく。ルノワールがどんどん過激なデブ専になっていくのが手に取るようにわかる。その人そのまんまが作品に出てくる。だから面白い。

とにかくどれだけカッコ悪くても、内観した結果をしっかり受け止めよう。

極端な話、心の奥をのぞいてみたら、「とにかく寝てたい」しかないことだってあるはずだ。

それがあなたのテーマだ。「寝てたい」に向かってごまかさずに生きていかなきゃいけない。「目標」とか「KPI」に言い換えてはいけない。この場合。

どんだけ迷惑でもごまかさない。どんだけダサくても受け入れる。ずっと寝ているのが好きな人はずっと寝ているべきだ。

めっちゃ怒られるし金もなくなる。ただその先が絶対にあるはずだ。「人と関わりたくない」や「じっとして考えるのが好き」などがさらに奥にあるかもしれない。この場合寝るのをサボってはいけない。

新社会人の女性が正直に徹底的に内観した結果、「イケメンドS上司に毎日溺愛されつついじめられながら仕事したい」が出てきてしまったとしよう。

「社会的弱者を救いたい」とか、「お客様を笑顔にしたい」とかではなく、「イケメン上司にいじめられたい」である。自分に絶望するかもしれない。ただまず受け入れましょう。自分にはそれしかない、ということにいったん失望したらそれの成就に向かって一歩ずつ踏み出していこう。自分が面食いマゾ女なのだという事実と、理想のおしゃれ社会人の姿が乖離していたとしても、心のずっと奥の方にある情熱の薔薇はごまかせない。どんなに今の上司が優しくて優秀な課長でも、不細工なおっさんだったらそれはあなたにとって絶対に絶対にダメなのだ。似たシチュの同人誌を書いたりしてごまかしてはいけない。

理想のドSイケメン上司にあたるまで転職ガチャし続けるのがあなたの「生活」になり「情熱の薔薇」になるのだ!

なんてハタ迷惑でかっこわるいんだ!

でもそれが真実だ。あなたの「生活」はそこにしかない。

ちなみに俺の「情熱の薔薇」は、くっそ恥ずかしいのだけど、いまんとこ「他人に生活を支配されたくない」と「自分が納得する小説を書きたい」が未分化でまじりあってる感じだ。なんかこうやって言葉にするとミもフタもねぇよな。

■ でもまあ、無理なら絶対無理しないでね

心のずっと奥の方に何も見つけられなかった人。特にインプットや経験に乏しい若い方に多いと思う。

内省した結果、心の中に何もみつからないということは十分にあり得る。

その場合はとりあえず周りに流されて生きてみよう。とにかく力を抜いて何も考えずに適当に流されよう。どこかにひっかかるものが心の中に産まれるかもしれないのでそれを待とう。全然大丈夫だ。むしろ執着の無い自然体の人はキレイだ。

流されるにしても、とにかく選択肢が多い方向に進んでほしい。辞めるとか別れるとか飲み会から帰るとかの選択肢を消さずに常に持っておこう。

俺が働いていたときのように自ら選択肢を狭めてしまうと人はもれなく病む。

「資本主義リアリズム」で「There is no alternative(資本主義以外の選択肢は無い)」と主張したマーク・フィッシャーは絶望して自殺した。あまりにもイノセントに答えを探し求めると知らぬ間に辛くなってしまう。

特に今「ニートマガジン」なんて読んじゃってるあなた、理屈っぽくなりすぎてない? ヤバいかもよ。もういったん言葉で考えるのやめちゃえ! 力抜け!

また嫌な仕事の当然の結果である依存症も、選択肢が無い状況だ。自分の意志じゃやめられないっていうのは死ぬより辛い。

お金が無い状態も、要は選択肢が少ないから苦しいのだ。だからお金をできる限り手元に残しておくのは精神衛生上良い。ただ、自分の本心と向き合わずに、安心するからって眠っている本心をほっといて金だけ貯めてるのも、のちのち後悔することになる。

少年漫画の主人公はみんなに好かれている。基本的に頑張っていて、絵的に映える「無理」をする。みんな体育会系は嫌いなのに少年漫画は好きだ。ワンピースを好きな経営者は多い。スポーツ選手もドラゴンボールが好きだ。

奴らは「無理」をするのがいいと思っている。だけど現実では絶対に「無理」をするのはやめよう。

少年漫画の主人公は読者に好かれなければいけないのだ。だから無茶したり努力したりしなきゃいけない。幸いあなたは別に誰にも好かれる必要はない。ルフィや悟空よりあなたは自由なのです。

俺たちはとにかく自由を奪う他人ともう関わりたくないはずだ。金をあげるからお前に干渉させろ。抱かせてやるから私を楽しませ投資しろ。そんな主義の奴らばかりだ。

知ったかぶりの支配被支配欲人間たち。

愚かで一人ぼっちだがあらゆるしがらみから自由、そんな無職を目指したい。

車も女も子供も家も、無理なことをしなきゃいけないなら要らん。

ただ自分の心に従ってなにかを選び取る喜び、生きる手応えさえあれば良い。

無職でも自分を卑下せずに、人間関係を調整しない。正直な気持ちを隠さない。

金なくても老けても太っても隠さない。

だから無職・ニートたちよ、そして有職の人たち、自分の本心に従って、孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように。

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