脱・ニート労働 ~ゼロから始める能動的ニーティングライフ~

久保一真

やぁ、ニート諸君。ニーティングライフは充実しているかい? 「はい! 私はニーティングライフを満喫し、日々、幸福に過ごしています!」と、笑顔で即答できるなら君は幸運だけれど、多くのニートはそうじゃない。クソみたいな労働から逃れた先も、クソみたいな生活だと、みんな口をそろえている。せっかくニートになったなら、充実した日々をすごせそうなものなのに、なんとも残念だ。その結果、連中は「無」がどうのこうのとか、小難しい文章を書いたり読んだりして、退屈そうな顔をしている。

どうしてこんなことになるのか? 結論から言えば、ニート連中が「ニートになっても労働しているから」ってことになるのだけれど、そのことを説明するには長くなる。少し時間をくれないか。

まず、前提の話をしよう。ニートマガジンなる雑誌を読んでいる君にとっては当たり前の話だと思うけれど、労働はクソだ。でもな、俺から言わせれば労働がなぜクソなのかを勘違いしている人は珍しくない。この前こんなツイートを見かけたんだ。

やりがい・地位・名誉・達成感・自己成長・社会との繋がりはいらない、お金がいる、というツイートのスクリーンショット

共感する人は多いと思う。たしかに、労働してると上司や社長、あるいは意識高いバイトリーダーみたいな奴が「労働は成長できるし、達成感もあるし、人に貢献するやりがいもある。だから素晴らしいんだ」みたいなことを言うから、ついつい反発したくなるよな。押し付けられる成長や達成感、やりがいほどクソなものはない。だから、貢献して達成して成長することそれ自体がクソなんだと感じてしまう。そんなものはいらないから、とにかく最低限だけダラダラと労働して、金だけ持って帰りたいって気持ちになる。それは理解できるんだ。

でもな、だからといって、成長することや達成感を味わうこと、人に貢献するやりがいを感じることそれ自体がクソってわけじゃない。「やりがい」「成長」「達成感」っていうと「アットホーム」と同じで、見ただけで寒気がする言葉なんだけど、言葉自体には罪はない。俺たちがこうした言葉にうんざりしてるのは、それを強制させられているからだ。ゲームだって強制させられれば苦痛になる。それと同じさ。

試しに、なんの成長もやりがいも達成感も社会とのつながりも一切ない生活を想像してみて欲しいんだけど、たぶん発狂したくなるはずだ。俺はやったことないけど、ぜったいに無理だって思うね。「俺は無職の才能があるから大丈夫」と君は言うかもしれないけれど、それはニート研究者のゆるふわ無職から言わせれば「草野球がちょっと上手いからってプロになれると大言壮語を吐いているようなもの」だ。はっきり言って無の道はそんなに生半可なもんじゃない。俺は職業柄、無職の友達が多いのだけれど、彼らは口をそろえて無の生活の苦しさを訴えている。それは「労働しない」という労働みたいなもんだ。言い換えれば「ニート労働」だ。

もちろん、イチローや大谷翔平ばりのストイックさをもってして、退廃的な無職業を成し遂げる奴もいる。だが、それはさっきも言った通りかなりハードルが高い。多くの場合、無職たちはイチロータイプになりきってストイックに非ストイックへと打ち込むことができず、苦しんでいる。

そんなことなら、労働している方がマシだと感じるニートだっているかもしれない。とはいえ、俺は別に「無職は苦しいんだから労働しようぜお前ら!」と職業紹介しようってわけじゃない。この世界は、「労働か、無か」の二択で成り立っているわけじゃない。もっと楽に生きることのできる、第三の選択肢があるんだ。

それはなにか? 簡単だ。例えば、遊びみたいにフラっと何かに取り組んで、達成感や成長、やりがい、あるいは社会とのつながりを味わってみるとか、そういうことをすればいいんだ。

それらは労働によってクソみたいな連中から押し付けられるからクソなわけで、自分の意志で、好きなタイミングでやってみるなら、労働として取り組んでいるときほどクソじゃないと気づくはずだ。むしろ、生きる喜びすら感じるだろうね。

プロゲーマーのウメハラが良いことを言っている。

『ゲームに飽きた』って言うんですけど、これは違うんですよ。ゲームに飽きたんじゃない、成長しないことに飽きたんです

ゲームだって達成し、やりがいを感じ、成長を味わうから面白い。ずっと一番道路でポッポとコラッタを狩り続けるようなゲームが面白いわけないよな。「スターミーなんかどうやって倒せばいいんだ?」とかなんとか文句言いながらマダツボミを捕まえてきてなんとか攻略し、ウツドンに進化する……そういうプロセスがないとゲームもクソつまらないだろ?

人生というゲームも同じだ。やることはなんだっていい。難題を乗り越え、達成感を味わい、成長し、ちょっと休憩し、また次のプロジェクトへと突き進む……こうしたサイクルのある人生こそが、俺たちが生きるに値する人生なんだ。

じゃあなにをすればいいのか? そんなことは知らない。毎日料理を作ってみるとか、部屋を掃除してみるとか、まずはそんなところから始めてみてもいいんじゃないか? 生活ってのは一定の秩序がある方が精神が安定してくる。ウンコや歯磨き、食事の義務から解放された人間はきっと不幸になるだろうね。

そして興が乗り始めたなら料理動画をネットにアップしてみてもいい。そして、注目してくれる人が現れたら、それを公園で振る舞ってみてもいいだろうね。「ニート鍋」とかなんとか言って、ガスコンロ持参してさ。そうすれば人に貢献することの喜びを思い出せるかもしれないし、やっているうちに「もっとうまい鍋をつくりたい」とかなんとか欲が出てくるかもしれない。まぁ、誰も来ないかもしれないし、クソみたいな奴ばっかりが集まってトラブルだらけになるかもしれないけどね。クソが集まるなら、それを逆手にとって「クソが街のクソを片付けます」とか言いながら公衆便所を勝手に掃除して回るイベントなんかをやってもいいかもね。

もし君が現在進行形でニートなら、少なくとも現時点では金を稼がなくても生きていけるってことだろ? ならその活動が金になるかどうかを気にする必要はない。これだけで活動の幅はグッと広がる。働きながらボランティアしてる人とか、ソーシャルビジネスをやっている人は、金のために賃労働したり、富裕層向けのマーティングを展開しなくちゃならない。その結果、朝から晩まで好きなことをしてるわけにはいかなくなる。でも、ニートならなにをやったっていいんだ。それに、失敗して恥をかいたってかまわない。君はこれまでたっぷり生き恥をさらしてきたんだろ? いまさらちょっとやそっと恥をかいたって痛くもかゆくもないさ。

なになに? 君はいまニートじゃないって? だったらニートになればいい。そして生活保護を取ればいいんだ。取ること自体は簡単だ。紙を出すだけらしいからね。その後はなにをやったっていい。金を稼ぐこと以外はね。金を稼ぐと生活保護を減額されちゃうから、要注意だ。

逆に言えば、生活保護を受けながら金にならない事業をやったっていい。例えば飲食店の居ぬき物件を借りて、住み込みでお店をやってもいい。利益はゼロになるように値段を調整してやれば、格安ニートレストランの完成だ。飲食店ってのは自分の人件費を稼がなければならないから難しいわけで、自分の人件費を生活保護で賄えるなら、適当にやっても成り立つんじゃないか? 知らんけどね。

もちろん、その中でも色んな困難があるけれど、別に途中で放り出したってかまわない。生活保護があるならいつでも辞められるんだからね。とはいえ、多少の困難があった方が人生というゲームは楽しいことは、散々俺が言ってきたとおり。ちょっとくらい辛抱してみて、乗り越えられて、人に喜ぶ成果をあげられたなら、そのときの脳汁は半端ない。別に他人に貢献するためとか、成長するためとか、そんなことは考える必要はない。脳汁のためにやる。それでいいんだ。人生には脳汁が必要だろ?

まぁ、俺も他人の生活にあれこれアドバイスするのは好きじゃない。別に無視してくれたってかまわない。君がニート労働を続けたいなら、なんの文句もない。でも、俺ってなかなか面白いこと言ってると思わないか? 新しい物の見方を得られたとは思わないか? ちょっとやってみないか? 実は俺はいま、まとも書房っていう本屋をやっていて、その近くで生活保護を受けながら飲食店をやってくれるニートを探してるんだ。興味あるなら080-1499-1991に電話してくれよ。あるいはお店に相談しに来てくれてもいい。別に俺は金を出せるわけでもないけど、協力できることは協力するぜ。

じゃあな。最高のニーティングライフをすごそうぜ。

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