有償ボランティアで生きていく

まちぇっと

ああ・・・・・・

それにしても

働きたくないっ

・・・・・・‼

全国のニート百万人の叫びが聞こえた気がする。働かないで生きること、それはそれで尊いことだ。でもニートにだって生活はある。貯金もなくて、お金をくれる人がいないなら稼がなきゃいけない。日本が資本主義社会である以上、お金は必要なんだから。

「でも働きたくない……!」ニートだから働きたくないのは当然だ。そこで私がオススメしたいのが有償ボランティアだ。有償とはお金がもらえるという意味である。

「お金がもらえるボランティア? それって仕事じゃないの?」そう思うニートがいて当然だ。私もそう思っていた。そもそも仕事とボランティアの違いとはなんだろうか。ひとまず有償は置いておいて、仕事とボランティアの個人的な違いを話そうと思う。

■ 仕事とボランティア

仕事とボランティアの違いはなんだろうか。私の個人的な仕事のイメージを語ろうと思う。

仕事はお金という対価が発生するので責任が生じる。責任とは、欠席、遅刻などの不参加と時間の遅れを許さないこと、業務中の私語やスマホの操作など業務と関係のない行動や持ち場を離れたりなど勝手な行動を許さないこと、定められた業務を終え、定められた時間を迎えるまで終われないことだ。終わらなければ残業もある。そして報酬に対しての労働は義務だ。

対してボランティアとは、お金という対価がないので責任がない(あくまでも私の見解である)。遅刻に対する責任もない、業務に専心する責任もない、決められた時間まで業務を行う責任もない。極論で言えば、いつ来てもいいし、何をしてもいいし、いつ帰ってもいいということだ。だって労働に対してお金という対価がないのだから。理屈上はあらゆる責任がなくなるということになる。

しかし、実際にボランティアでそんなに無責任なことをやる人はいないと断言できる。仕事とボランティアには決定的に違う点があるからだ。

それは貢献心である。俗に言うボランティア精神というこの心は、ある目的のために自分も貢献したいという意欲であり、その使命感は責任を凌駕する。だから理屈で責任がないからといって、本当に無責任な行動をする人はいない。そのような人はそもそも最初からボランティアをやらないからだ。

では、有償ボランティアはどうだろうか。これは仕事ではないのか?

■ 私の有償ボランティア体験

九月某日、私はうなだれていた。自分で引き受けた有償ボランティアに行くのが嫌で仕方なかったのだ。以前、来場客として参加した名古屋のインディーゲームイベントが大変面白く、そこで好きなゲームのクリエイターさんともお会いできたことで、このイベントを主催した人に恩義を持っていた。

それから半年が経ち、第二回の開催となった時に、Xでその主催者がボランティアスタッフが足りていないということを各所に拡散していた。そこで前回のイベントで恩義を感じていた私は、恩返しするチャンスとばかりに一も二もなく手を挙げたのだ。

しかし、それはボランティアはボランティアでも有償ボランティアだった。

有償ボランティア経験がない私にとって、この有償ボランティアというお金がもらえるボランティアはどう扱っていいのかわからなかった。申し込んだ時はどうにかなるという楽観的な気分だったが、イベントが近付くにつれて吐き気を催すような嫌な気分になった。イベント自体が嫌なわけでもなく、スタッフとして働くのが嫌なわけでもなかった。

ただ「謝礼が出る」ということが重荷だったのだ。謝礼が出るということは、もうそれは自分の中では仕事だった。私は久しぶりに感じる「仕事」という意識に吐き気を催していたのだ。

私はボランティアなら喜んでやるが、仕事は話が違う。いかに手を抜いて楽にやるかしか考えない。そもそも仕事に楽しさや喜びを求めてないので、いかに要求されたことを満たしながら楽をするかしか考えない。当然、こんな気持ちでボランティアをやっても楽しいわけがない。

貢献心を満たすボランティアと、お金という対価のためにやる仕事。その両方の悪い要素が組み合わさった有償ボランティアは相性が最悪としか思えなかった。

イベント前日、私は死んだような気持ちで名古屋に向かった。イベント当日の集合時間が早朝であるため、私が住んでいる地域からでは始発でも間に合わないからだ。ホテルを予約した時は「どうせ名古屋に行くのだから、ちょっと観光でもしながら美味しいものを食べよう」なんて計画していたが、実際に行ったら全くそんな気分にはなれなかった。仕事という意識はそれほどまでに私にとっては重たかったのだ。その日は、名古屋に着いても何もせずにすぐにホテルに向かった。

翌朝、緊張してほとんど眠れなかった私は重たい身体を引きずってイベント会場へ向かった。集合時間十五分前に着いたが、まだ私しか来ていなかった。

「この時間に私しか来ていないことなんてあるのか? 仕事だぞ?」そう思いながら待っていたら、少しずつボランティアスタッフが集まりだした。しかし、十人いるはずのボランティアスタッフの半分が集合時間を過ぎても来ていない。そのままなんとなく設営作業が始まって、遅れてきた人達もいつの間にか作業に加わっていた。

遅れてくることに対して誰も何も言わず、作業の指示もマニュアルはあるものの、書いてある手順も持ち場も全く無視して、各々が好きに作業するおおよそ「仕事」とはかけ離れた光景がそこにはあった。

そして私の「仕事」という意識は集合してからものの十分で消し飛んだ。なぜなら誰もこれを仕事だとは思っていなかったからだ。私を除いて。

気付けば勝手に責任を感じて、勝手に仕事だと思い込んで気分が悪くなっていたピエロがそこにはいた。

そこからは開き直って、貢献心全開でがむしゃらに働いた。

みんな好きにやってるのに、不思議と計画通りに設営は進んでいき、予定時間よりも早く終わった。私は手が空けば持ち場を離れて、他に作業が必要な場所を探しながら率先して動くという仕事では絶対にやらないことをやっていたが、貢献心が満たされていくのを実感して本当に楽しかった。

貢献心で積極的に動く一方で業務に専心しなければいけない義務のようなものもなく、やることがなくなったらスマホを見たり、他のスタッフと話したり、自分も参加者に混じってゲームの試遊をしたりしていた。この辺のゆるさもボランティアという感じだった。

そしてイベントは大成功に終わり、あまりにも楽しかった私はその場で他のインディーゲームイベントの有償ボランティアを申し出た。終わる頃にはお金がもらえることなどすっかり忘れていたが、ちゃんと謝礼も出た。

こうして責任ピエロの杞憂で終わった有償ボランティアは私の人生でかけがえのない楽しい体験となった。

■ 有償ボランティアの可能性

今回、私が経験したことで感じたことは有償ボランティアとは、仕事とボランティアのいいとこ取りの理想的な働き方なんじゃないかということだ。仕事の責任はなく貢献心だけで働けるのにお金までもらえる。相性が最悪どころか最高なのかもしれない。

「普通に仕事で貢献心を持って働けばいいのでは?」と思われるかもしれないが、それはオススメしない。今回私がやったように貢献心でできそうな仕事を探しては手伝うということを仕事でやると、自分の仕事ばかりが増やされ続け、それで感謝されることもなければ、キャパオーバーして崩壊したら責任だけ取らされることになりかねない。

みんなボランティアなら感謝してくれるのに、お金の責任を負うと非情になって、仕事と責任を押し付けがちなのだ。

貢献心を持って働くことが成立するには「そこで働いているみんなが貢献心を持って働いている」ということが条件となる。言い換えれば「これは仕事ではなくボランティアである」という共通認識でもある。今回、私からすぐに仕事という意識が消えたのは、他のスタッフの方達が仕事という意識で働いていなかったからだろう。裏を返せば仕事のつまらなさ、くだらなさの本質は「そこで働いている全員が『これは仕事だ』と思って働いていること」なのかもしれない。そしてこの意識が足の引っ張り合いと責任の押し付け合いを始める元凶でもある。

その点、「純粋なボランティアとして働くことができながら、お金までもらえる有償ボランティアは最強なのでは?」ということだ。

ここまで長々と語ってきたことで有償ボランティアの魅力がわかってもらえたと思うが、私はこの有償ボランティアがあまりにも楽しかったのと、お金までもらえることから「これだけでなんとか生活できないか?」と考えている。

今回は名古屋という遠方なこともあり、もらった謝礼は交通費とホテル代に消えたが、近場ならお金をかけずに行くことも可能である。こんなに楽しいことだけをして生活できるなら、その可能性に賭けてみたくなる。

これを読んでいるニートのみんなも生活までは考えないにしても、有償ボランティアを一度経験してみてもほしい。もしかしたら、私のように人生が変わる体験になるかもしれない。

■ おわりに

有償ボランティアの可能性を語ってきたが、興味を持っていただけただろうか。

もし有償ボランティアで生活するなら、もうニートではなくなるから、ボランティアをして生活をする人、ボランティストとでも名乗ればいい。

というか、今から私が名乗る。私がボランティストだ。

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